野田村
岩手県の太平洋に面した野田村は、江戸時代より『直煮出し』と呼ばれる塩作りが盛んで、牛の背に塩を乗せて遠く北上高知を超えて盛岡辺りまで行商に行き、穀物などと物々交換をしていました。この街道を『塩の道』と呼ばれています。
大変な重労働であった製塩は『北上山地を越せば、塩一升が米一升』に変わる程の価値あるものでしたが、その後塩は専売制となり明治43年には野田の製塩は途絶えてしまいます。
ところが平成に入ると村の青年部によって地元イベントで製塩を実施。それが好評で明治以来の野田塩が復活します。
東日本大震災の津波により製塩施設が流されましたが、翌年新しい製塩施設を建て再開。燃料をこれまでの重油から、津波で流された防風林を薪に変更。以前よりも旨味が増し、より伝統的な製法に戻ったそうです。
幾重もの困難を乗り越えた野田塩は、完成までに4日を有し今日も職人による手作りで守られています。
※Photo:十府ヶ浦(とふがうら)海岸
野田村メモ
・うに、鮑、帆立等の海産物をはじめ、山では、松茸や山菜、山ぶどうも採れる。
・特に野田村沖で養殖される『荒海ホタテ』は有名で、荒波に揉まれて水質の良い豊富なプランクトンの中で肉厚に育つ。
・毎年12月にはホタテ祭が開催される。
・バラ鉱石(宝飾品名:マリンローズ)が採れる日本唯一の場所である。
・村のマスコットキャラクター『のんちゃん』は、さけの稚魚がモチーフ。公募で名づけられた。
・人口約4200人。
大変な重労働であった製塩は『北上山地を越せば、塩一升が米一升』に変わる程の価値あるものでしたが、その後塩は専売制となり明治43年には野田の製塩は途絶えてしまいます。
ところが平成に入ると村の青年部によって地元イベントで製塩を実施。それが好評で明治以来の野田塩が復活します。
東日本大震災の津波により製塩施設が流されましたが、翌年新しい製塩施設を建て再開。燃料をこれまでの重油から、津波で流された防風林を薪に変更。以前よりも旨味が増し、より伝統的な製法に戻ったそうです。
幾重もの困難を乗り越えた野田塩は、完成までに4日を有し今日も職人による手作りで守られています。
※Photo:十府ヶ浦(とふがうら)海岸
野田村メモ
・うに、鮑、帆立等の海産物をはじめ、山では、松茸や山菜、山ぶどうも採れる。
・特に野田村沖で養殖される『荒海ホタテ』は有名で、荒波に揉まれて水質の良い豊富なプランクトンの中で肉厚に育つ。
・毎年12月にはホタテ祭が開催される。
・バラ鉱石(宝飾品名:マリンローズ)が採れる日本唯一の場所である。
・村のマスコットキャラクター『のんちゃん』は、さけの稚魚がモチーフ。公募で名づけられた。
・人口約4200人。
現在、テーマの投稿はありません