『芋焼酎』~熊本県


2023.10.11

 

今回は熊本県の天草にやってきました。

天草といえば、温暖で野生のイルカとも会える綺麗な海にキリシタン文化も残る、九州では人気の観
光地でもあります。その天草で代々、焼酎を造り続ける天草酒造にお邪魔しました。

JR熊本駅から三角(みすみ)線で終点三角駅まで約1時間。そこから車を運転して約90分。
天草の下島にある天草酒造の4代目蔵元 平下 豊さんにお話を伺いました。

 

 


4代目蔵元、平下さん。併設するカフェテラスから天草の海を望む

 

 

天草酒造は創業明治32年。平下さんの曾祖父が創業する。

―そもそもなぜこの地で一家は焼酎造りをスタートさせたのでしょうか?

平下「私どもが創業する前の大昔の話になりますが、当時の人々も何かしらの酒を飲んでいた訳です。
もちろんビールなど無い時代です。その時代は各家庭で焼酎を作っていたような時代なんです。
ところが、当時は国家予算の中で酒税がかなりの割合を占めていた時代(現在はごく僅か)。
家庭で酒を作られちゃうと国に税が入らないので、段々と取り締まりが厳しくなっていく訳です。
そこで天草でも集落毎に酒を作り始める訳でね、ウチは当時集落の顔役だったようで、この辺りで消費
する量の酒を造りはじめたのが創業のきっかけと聞いています」

大学入学と同時に天草を離れ東京での生活の後、再び地元に戻って来た平下さん。
丁度2000年を迎えたその頃、世の中は空前の焼酎ブームがやって来ていた。
平下さんの蔵にも東京の酒屋さんから注文がどんどん来るようになっていた。それに応じるために機械
を使って、ある程度の大量生産も始めた。
しかしやがてブームに陰りが見えてくる。同時に日本国内のアルコールの消費量も落ちていった。

その時に平下さんは他社との差別化を考える中で選んだのが、『徹底した品質向上』だった。
そしてこの頃から決めたことがある。

1.焼酎の品質が良くなる設備投資は幾らでもする。
2.大量生産を見込んだ設備投資はもうやらない。

ブームの終焉や、今後の人口減を見据えた判断だった。同時にそんな将来を考えるなかで平下さんの中
から生まれた答えが、手作りの焼酎だった。
幸い昔使用していた仕込み甕(かめ)も残っていた。
こうして平下さんは2006年、29歳の時に手作り焼酎を作るための蔵を建てる。
そしてそこから手掛けていったのが、当時廃番になっていたブランド芋焼酎『池の露』の復活だった。

 


写真左が手作り焼酎蔵、その右手に自社で育てている薩摩芋の畑の一部が見える

 


仕込みの甕

 

―天草酒造のHPにも書いてあるが、焼酎造りほど手間の掛かるものはないと言う。

平下「手作りとなると、夜中も早朝も関係ないんです。24時間体制で面倒をみてやらなくてはならない日
が年間120日程あります。だからこそ機械化が進み温度管理をやってもらうのですが、それを人がやると
なると2.3時間毎に起きて温度を見ないといけないんです」
こうして平下さんの30代は焼酎造りに捧げることになる。

 

ここで芋焼酎造りを簡単に説明しておくと、
蒸した米に麹菌をつけ米麹をつくる。麹は生き物なので放っておくと温度が上がり過ぎて42℃で死んで
しまうので、2.3時間毎に温度確認して人の手でかき混ぜるのだが、これを温度管理を含め自動送風機で
機械化してしまうと、お米が乾いて品質が落ちてしまうそうだ。


温度を見ながら米麹をかき混ぜる(同社HPより抜粋)

 

こうしてできた米麹に麦や酵母、水を加えて発酵させるのが一次仕込み。これを一次もろみと呼ぶ。
次に芋を蒸して、一次もろみと合わせるのが2次仕込み。
それを蒸留したものを、さらに熟成させる(焼酎によるが期間は1~3か月から、長期熟成では3年
以上)。


蒸した米に麹の種付けをする

 

その間にもフーゼル油というものが浮いてくるので、丁寧に取り除かなければならない。
熟成が終わると、アルコール度数を調整する。そして最終工程の濾過作業をするのだが、これを機械で
やってしまうと雑味のないただの飲みやすい焼酎になってしまうので、平下さん達はここでも手作業で
行い良質な油分をあえて残すようにしているのだという。
濾過を終えると瓶詰めをしてようやく出荷となる。
書面の都合や専門的な部分もあり全ての作業工程は書ききれないが、それ以外の工程でも人の手ででき
る作業は極力手作業で行っているという。


収穫した芋の下処理風景

 

最後にこれからの天草について伺った。
―天草酒造には唯一の社訓があるという。

それは『天草に来てみたくなるような焼酎を造ろう』

平下「私の子供が低学年の頃はまだ近所の子らが数人集まってみんなで登校していたのに、高学年になる
とウチの子だけになってしまい、統合で10キロ先の小学校へ行くことになりました。耕作放棄地も私の
父親世代がリタイヤすれば今後増えてゆくでしょう。だけど自分達で焼酎造りを農業からやって芋を作れ
ば雇用にも繋がるし、放棄地も減らせることができるんです。
ウチの敷地内でも以前はイノシシが我が物顔でウロウロしよったけど、酒蔵を作って、放棄地をきちんと
耕して農業しだしたら見なくなった。イノシシも人間が怖いけん」

より高品質の焼酎を造ることが地域の活性へと繋がってゆくと教えてくれた平下さん。
平下さんは口にはしなかったが、『旨い焼酎を造ること』が目標ではない。
旨いを超える。天草を感じてもらう、天草に来てもらいたくなるような焼酎。
これほど心を震わせる社訓に出会ったことは無かった。

ここから旅立った焼酎は今日も東京をはじめ全国様々な土地の人に飲まれている。寝る間を削って作られ
たその焼酎の味は五臓にしみわたる、天草からの便りなのかもしれない。

 

 

合名会社 天草酒造
熊本県天草市新和町小宮地11808
0969-46-2013

 

 

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